「構造」という視点を持ってみる

鬱に関して関わらせて頂く事があります。
 
その多くの場合は症状に対して意識が固定され
現状の不快感と更に上乗せされる日々のストレスに
日々余力を削られる状況への後手後手の対処に
なっておられがちだな、と感じます。
(それが良いとか悪いとかのお話ではありません)
 
「不調」というのは、言ってみれば“サイン”です。
傷を受けたとき、その異常を知らせるためのサインは
心地がよいと役割を果たせません(なんとかしないと!と思えない)
不快だからこそ、今起こっている異常に気付けます。
不快であること自体は実は必要があってそうなのです。
大切なのは、その目先の不快感が問題の根っこではないということを認識すること。
その裏にある構造に関しての意識が大切だと常々感じています。
 
 
もちろん、現状の不快感を軽減するのは大切です。
が、後手後手の「対処」では
いつまで経ってもその現状から抜け出す事は難しいな、と
いつもお話を伺いながら感じます。
 
例えばストレスを受けるとして、
ストレスがイキナリなんの脈絡もなく目の前に現れるのではなく
事実→解釈(意味づけ)→ストレス→不快感
という流れがあり、
その流れの所々に「思考」によって不快感やストレスを
増幅する無意識の習慣も紛れている事がほとんどで

それらは、その人の中で&deco(#CD384B){''ほぼ無自覚無意識に、自動的に
行われている、【習慣】になってしまっています。''};
 
 
そういった
現状の状態をつくりだしている【構造】を発見し
その構造に対して手を加えていく
 
 
この視点は、鬱に限ったことではなく
僕の仕事である整体にも言えることです。
 
 
肩こり、腰痛、頭痛、膝の痛み
それらの症状と不快感は早くなんとかしたい!
という意識を生みだし、どうしても
目先の不快感の軽減にのみ意識が固定されてしまいがちです。
 
 
ですが、
本当に症状が再び現れないレベルでの改善を目指すのであれば
それらの症状が生み出される【構造】を改善しなければ
同じ不快感は再び現れます。
 
良い悪いの話とは切り離して
「なぜ?これは起こっているのか?」
という構造・仕組みへ目を向ける。
 
今ある視点に加えてみて頂ければと思います。

コメント


認証コード2941

コメントは管理者の承認後に表示されます。